モラルハラスメントと言葉の暴力は違う
- 2015/09/23
- 19:03
http://ameblo.jp/moraharagekokujo/entry-11980144187.html
↑より一部引用させてもらった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
夫から妻への
モラルハラスメントというのは、
加害者側である夫が、
原則的に
絶対に外部には
バレないように、
モラハラの事実を
周到に隠ぺいします。
モラハラ加害者は、
人格に障害があるため、
自分が本当は被害者で、
人格者であると信じ込んで
いるからです。
加害者は、
一歩家庭外に出れば、
完全な良い人です。
だから、
「モラハラ」は、
当事者から説明されない限り、
外部の人間には
事実が分からないのです
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ということでモラルハラスメント加害者は外部には絶対にばれないように隠蔽し
ほかの人から見たらとてもいい人に思われている。
そのような工作を無意識に行っている人物を指す。
それでは言葉の暴力とはなんだろうか?
ウィキペディアより
================================================
言葉の暴力(ことばのぼうりょく)とは、言葉で他者に対して心理的に制圧を加える心理的暴力をいう。
口の暴力とも称される。精神的暴力の一つであり、いじめやハラスメントの手段の一つとなる場合もある。
立場や力の差などにより反抗できない弱い相手に対し行われる肉体的・物理的な暴力同様に、
言葉であっても反抗する事ができない弱い相手に心因的・精神的な苦痛を与えることも暴力でありハラスメントである。
ゆえに言い勝ったつもりでも言葉による暴力を振るった可能性もあり、「力で勝てないから言葉で」
「言葉で勝てないから力で」相手をねじ伏せても暴力になりうる。
肉体的・物理的な暴力に対しては、防いだり反撃したりすることは社会的・法律的に広く認められている。
言葉の暴力については、「その存在と程度(あるのかないのか、あるとすれば頬を平手で打たれた程度なのか、
拳で殴られた程度なのか、ナイフで刺された程度なのか、日本刀で斬られた程度なのか、など)」
「与える影響とその程度(傷があるのかないのか、あるとすればどのくらい傷が開いているのか、
掠り傷程度なのか、骨折してしまって積極的に治療しなければ元に戻らない状態になっているのか、
内臓破裂で瀕死の重症なのか、など)」について、
加害者・外部(周囲)・被害者自身にとってさえ明確には分かりづらいため、
被暴力者がどう防御・対処すればいいのか、21世紀の初頭時点では、難しさが付き纏うことになっている。
また、多い勢力による弱者への言葉の暴力は日常的に存在するため、判別出来ないことが難点である。
================================================
結局のところは物理的暴力とは違ってどの程度の被害なのか客観的に評価できないので
受けた側がどれくらい傷ついたか自己申告するしかない。
一方で「立場や力の差などにより反抗できない弱い相手に対し」とあることから
普通の夫婦間には当てはまらないし相手からも言われていてそれによってやはり自分も傷ついたのならば
お互いが言葉の暴力をやりあった、夫婦喧嘩の範疇ではないのだろうか。
言葉の暴力を受けたといって相手を追い詰めるだけではなく、自分も知らずに言葉の暴力を相手に
与えていたのではないかと自問自答する心が必要だと感じる。
夫婦間の紛争においては一方的に片方が悪いという事例はほとんどない。
それは交通事故や暴行事件など多くの紛争においても言えることである。
自らの非を認め謝罪するとともに、相手の謝罪に対しては寛容となることが必要だ。
↑より一部引用させてもらった。
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夫から妻への
モラルハラスメントというのは、
加害者側である夫が、
原則的に
絶対に外部には
バレないように、
モラハラの事実を
周到に隠ぺいします。
モラハラ加害者は、
人格に障害があるため、
自分が本当は被害者で、
人格者であると信じ込んで
いるからです。
加害者は、
一歩家庭外に出れば、
完全な良い人です。
だから、
「モラハラ」は、
当事者から説明されない限り、
外部の人間には
事実が分からないのです
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ということでモラルハラスメント加害者は外部には絶対にばれないように隠蔽し
ほかの人から見たらとてもいい人に思われている。
そのような工作を無意識に行っている人物を指す。
それでは言葉の暴力とはなんだろうか?
ウィキペディアより
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言葉の暴力(ことばのぼうりょく)とは、言葉で他者に対して心理的に制圧を加える心理的暴力をいう。
口の暴力とも称される。精神的暴力の一つであり、いじめやハラスメントの手段の一つとなる場合もある。
立場や力の差などにより反抗できない弱い相手に対し行われる肉体的・物理的な暴力同様に、
言葉であっても反抗する事ができない弱い相手に心因的・精神的な苦痛を与えることも暴力でありハラスメントである。
ゆえに言い勝ったつもりでも言葉による暴力を振るった可能性もあり、「力で勝てないから言葉で」
「言葉で勝てないから力で」相手をねじ伏せても暴力になりうる。
肉体的・物理的な暴力に対しては、防いだり反撃したりすることは社会的・法律的に広く認められている。
言葉の暴力については、「その存在と程度(あるのかないのか、あるとすれば頬を平手で打たれた程度なのか、
拳で殴られた程度なのか、ナイフで刺された程度なのか、日本刀で斬られた程度なのか、など)」
「与える影響とその程度(傷があるのかないのか、あるとすればどのくらい傷が開いているのか、
掠り傷程度なのか、骨折してしまって積極的に治療しなければ元に戻らない状態になっているのか、
内臓破裂で瀕死の重症なのか、など)」について、
加害者・外部(周囲)・被害者自身にとってさえ明確には分かりづらいため、
被暴力者がどう防御・対処すればいいのか、21世紀の初頭時点では、難しさが付き纏うことになっている。
また、多い勢力による弱者への言葉の暴力は日常的に存在するため、判別出来ないことが難点である。
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結局のところは物理的暴力とは違ってどの程度の被害なのか客観的に評価できないので
受けた側がどれくらい傷ついたか自己申告するしかない。
一方で「立場や力の差などにより反抗できない弱い相手に対し」とあることから
普通の夫婦間には当てはまらないし相手からも言われていてそれによってやはり自分も傷ついたのならば
お互いが言葉の暴力をやりあった、夫婦喧嘩の範疇ではないのだろうか。
言葉の暴力を受けたといって相手を追い詰めるだけではなく、自分も知らずに言葉の暴力を相手に
与えていたのではないかと自問自答する心が必要だと感じる。
夫婦間の紛争においては一方的に片方が悪いという事例はほとんどない。
それは交通事故や暴行事件など多くの紛争においても言えることである。
自らの非を認め謝罪するとともに、相手の謝罪に対しては寛容となることが必要だ。
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