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    街の陽平包囲網が信長包囲網並みにヤバスw

    信長包囲網(のぶながほういもう)とは、戦国時代末期より安土桃山時代初頭にかけて
    発生した反織田信長連合のことを言う。

    参加勢力は以下の通り。

    陽平も信長ほどではないが3人の女に徹底包囲を受けるわけで。

    <一次>
    本願寺(摂津、加賀) - 元亀元年(1570年)10月30日に和睦。
    雑賀衆(紀伊) - 本願寺を支援。
    六角義賢(近江) - 元亀元年(1570年)11月に和睦。
    三好三人衆(摂津) - 元亀元年(1570年)11月21日に和睦。
    篠原長房(阿波、讃岐、淡路) - 元亀元年(1570年)11月21日に和睦。
    三好長治(阿波) - 篠原長房ともに畿内に上陸。
    十河存保(讃岐) - 篠原長房ともに畿内に上陸。
    安宅信康(淡路) - 篠原長房ともに畿内に上陸。
    荒木村重(摂津) - 三好三人衆の上陸を支援。
    池田知正(摂津) - 荒木村重と同調。
    浅井長政(近江) - 元亀元年(1570年)12月に和睦。
    朝倉義景(越前) - 元亀元年(1570年)12月に和睦。
    延暦寺(近江) - 包囲網瓦解後も信長と対立を続ける。
    筒井順慶(大和) - 信長方の松永久秀と対立を続ける。

    <二次>
    延暦寺 (近江)- 元亀2年(1571年)9月、焼き討ちを受けて壊滅。
    筒井順慶 (大和)- 元亀2年(1571年)11月、明智光秀と佐久間信盛の斡旋により信長に臣従。
    (和田惟長)(摂津)- 元亀4年(1573年)3月10日頃、旗幟不鮮明であったが、家臣高山友照と斬り合い致命傷を負う。
    荒木村重 (摂津)- 元亀4年(1573年)3月29日、織田家に寝返り逢坂関にて信長に謁見する。
    池田知正 (摂津)- 元亀4年(1573年)3月頃、家臣の荒木村重が信長に寝返った為、追放される。
    武田信玄 (甲斐、信濃、駿河) - 元亀4年(1573年)4月12日、帰国途上に信玄が病死。勝頼が対立を継続。
    北条氏政(伊豆、相模、武蔵) - 武田氏と同盟し、遠江に援軍を派遣した。
    篠原長房 (淡路、讃岐、阿波) - 元亀4年(1573年)7月16日、主君三好長治、十河存保の攻撃を受け自害。結果的に両名も信長包囲網から離脱。
    三好三人衆 (山城・摂津) - 天正元年(1573年)8月2日、岩成友通が討死。同月、三好長逸と三好政康が逃亡。
    足利義昭 (山城) - 元亀4年(1573年)7月18日、槇島城を落とされ、京都から追放される。
    朝倉義景 (越前) - 天正元年(1573年)8月20日、自害。朝倉氏は滅亡。
    浅井長政 (近江) - 天正元年(1573年)9月1日、自害。浅井氏は滅亡。
    本願寺 (摂津、加賀) - 天正元年(1573年)11月頃、信長と和睦、その後再度対立。
    三好義継 (河内) - 天正元年(1573年)11月に自害。
    松永久秀 (大和) - 天正元年(1573年)12月末に降伏。
    遊佐信教 (河内) -天正2年(1574年)4月、高屋城において戦死。
    六角義賢 (近江)- 天正2年(1574年)4月13日、甲賀郡北部の石部城から南部の信楽に逃れ、抗争を続ける。
    伊丹親興 (摂津) -天正2年(1574年)11月、伊丹城を荒木村重に攻められ自害。
    長島願証寺(伊勢) -天正2年(1574年)9月、焼き討ちを受けて壊滅。
    三好笑岩 -(河内)天正3年(1575年)4月、高屋城にて降伏。
    雑賀衆 (紀伊) - 本願寺を支援し抗争を継続。
    日根野弘就(伊勢) -長島一向一揆に参加。その後、織田家に仕官。
    (遠藤慶隆)(美濃) - 武田信玄に内応していたが、処罰されず存続。
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