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    歴史上の内紛に付けられる「乱」と「変」の違いを比較する

    吉本興業トップ経営陣に対して極楽とんぼの加藤が退陣を要求した事案を
    「加藤の乱」としてメディア各社が騒ぎ立てている現状だが
    少し前にも加藤紘一が自民党政権打倒を目指して失敗した本家加藤の乱があった。

    更に歴史をさかのぼると、天皇国家として歴史に残るほぼ最古の乱として
    「壬申の乱」があった。

    鎌倉時代には鎌倉幕府と朝廷の争った「承久の乱(変と呼ばれることもある?)」があった。

    幕末には「桜田門外の変」、「禁門の変」が起こっている。

    「壬申の乱」は天智天皇崩御後の後継者争いで皇子同士が戦ったものであり、
    どちらも政権側、支配者層同士での主導争いと言える。

    「承久の乱」は政権を持つ鎌倉幕府と政権奪取を目論む朝廷が戦い、
    朝廷側が破れたもので朝廷を被支配層とするのには無理がある。

    桜田門外の変は時の大老井伊直弼が暗殺された事変で
    主犯は水戸藩の脱藩浪士と薩摩藩士。
    被支配層からの反逆と言えるだろう。

    禁門の変は主導権を奪われた長州藩と幕府軍が戦い、長州藩が敗れたもので
    長州藩は政権側から外れつつあるが、まだまだ政権側の立場だったと言える。

    非常に分かりにくいのだが以上をまとめると
    もしも成功したら、体制のどんでん返しが起こるかもしれない場合は「乱」になり、
    たとえ成功しても、結局同じような体制が続く可能性が高いものは「変」となるようだ。
    「乱」は被支配層が支配層へ起こした反逆、
    「変」は支配層の派閥同士での争いとなる。

    正直壬申の乱と承久の乱は定義から外れているとしか思えない。
    承平・天慶(じょへい・てんぎょう)の乱(平将門や藤原純友らによる反乱)
    や大塩平八郎の乱は明らかに被支配層の反逆なのでバッチリなのだが。

    保元の乱は後白河天皇方と崇徳上皇方の争いなので壬申の乱と同じタイプだろう。

    起こった争いが持つ影響力の違いがポイントとなるようだが
    しっくりこないことも多く、教科書での「乱」、「変」も
    時代によって変動していくものである。
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